あの娘は俺の?

中学1年の夏、日曜の真昼間に近所の本屋で立ち読みをしていた。そうしたら一人の少女に声をかけられた。 当時の俺から見たら明らかに年上っぽい感じだが、道を尋ねる様子でもなかった。何故か俺の名前を知ってた。 『今暇?』とか、『ちょっとお話したいな』とか。そんな感じだった。今の俺ならそんな馴れ馴れしい感じは逆に怖い。変な勧誘か何かと思い警戒するだろうが、当時の俺はガキ。ナンパ?え?俺中一だけど?みたいな変な浮かれ気分でどぎまぎとしていたのを覚えている。 本当に今思えば不思議なくらい打ち解けた、自販機でジュースを奢ってもらい、本屋の前で色んな話をした、と思う。何故か話の内容が上手く思い出せないのがちょっと異様だと思う。 ただ妙に腕を組んで来たり、異様に距離が近かったりで当時の俺はかなりドキドキしていたのが強く印象に残っている。そして次の日曜も話をしようと約束し、それが5~6回続いた。 もはや恋に似た感覚すら抱いていた。 そんなある日彼女は、とある事を話しはじめた。その内容は何故か今でも覚えている。彼女は一緒に暮らしていた大好きなおじいちゃんが亡くなってしまい、とてつもなく寂しかったのだそうだ、だからおじいちゃんが昔住んでたこの町にやってきたんだと言う。 おじいちゃんとの思い出話や、まだ生きているおばあちゃんの話、家族の話等も一所懸命に話してくれた。そして彼女は何故か俺に泣きながら抱き着いてきてさよならを言ってきた。それ以来会うことはなかった。 たまに初恋の様に思い出す程度なのだが、気になる事がいくつもある。あれから17年たっている今、彼女の言っていたおばあちゃんの名前と今隣に居る嫁が同じ名前である事。 そして彼女が住んでいたと言う町が、今俺が住んでいる町と一緒であるという事。最後の彼女の話に出てきていた、彼女の父親の名前が俺の4歳の息子と同じである事。彼女の話はたまに思い出してはいたが、子供の名付け時に意識していた訳ではなく。名前で嫁を選んだつもりもない。不思議なんだが、合わせたつもりがないのに、すべてがカッチリと合っている。気持ち悪いくらいに。 あの娘は何だったのだろうかと、最近になって思う。

現実の直視

現実の直視 ある研究者グループが、うつ病患者と健康な人の2つのグループに対してある心理学的実験を行った。 被験者の前にあるのはボタンとディスプレイ。ボタンは被験者の気分で自由に押して良いという許可が与えられている。 そして被験者には「なるべき多くの回数、ディスプレイを点灯させて下さい」とだけ伝えて、被験者一人で一定時間部屋に籠ってもらう。 被験者の頭の中では 「目の前のボタンとディスプレイは連動しており、何らかの条件を満たす形でボタンを押せば光るはずだ」と踏んで試行錯誤を始める。 5秒間隔でボタンを押してみたり、素数の回数だけ押してみたり、一定のリズムを刻んだりと被験者は様々な押し方をするのだが、ディスプレイの明かりは不規則なような法則があるような何とも確信を持てないような光り方をする。 それもそのはず、ボタンの押し方とディスプレイの点灯には何の関係も無く、裏では研究者が被験者の動きを見てそれらしくディスプレイの電源を操作していたのであった。 実験終了後、被験者に 「ボタンの押し方とディスプレイの光り方には、何か法則が見出させましたか?」と質問すると2つのグループではっきり回答が分かれた。 健康な被験者の多くは「法則がある」と回答し、うつ病の被験者の多くは「ない」という回答であった。 ボタンの押し方とディスプレイの点灯の間に関係が無いことを見破ったのはうつ病患者のグループであったのだ。 世の中には自分でコントロール出来る物事と、運命や偶然に支配されるコントロールが出来ない物事がある。 自分の意志が及ばない物事、心理実験ではディスプレイの点灯に当たるが、それに対して健康な被験者グループは“コントロールが及んだ”と考えて“法則がある”と答えた。 一方、うつ病の被験者は事実を歪曲することなく現実をありのままに直視して“法則はない”つまり “自分の意志は及ばない”と回答したことを暗示している。 この実験からすると、人間の心は都合のよい歪曲無くして、現実を直視できるほど頑丈には作られていないようだ。もしくは多くの人にとって現実の出来事は心の傷なしに直視できないということであろうか。

巾着

薄暗く赤い空の下、小高い丘に続く一本道をただひたすら歩いているという夢です。 丘には小さな一軒家が建っているのですが、なぜかその家に行かなければならない気がします。 しかし、怖くて中々歩みが進みません。それは道の脇に転がっている動物の死がいのせいです。 どれも皮を剥がれていて、頭のところで剥がれた皮が巾着状に結ばれています。どれも赤やピンク色の肌が生々しく露出しているのですが、首から上は皮の巾着で覆われているという奇妙な姿の動物の死がいです。 顔の部分はまったく見えませんが大きさ形から兎や牛、馬とか鹿とか何となく動物の種類が分かります。 沈んだ気分で道を歩いて、丘の上の一軒家に辿り着いたところでいつも目が覚めます。 起きるといつも鼻血が出ていて、シーツが一面血だらけになっています。 その夢を見た日は一日気分が沈んで何とも言えない不安感に襲われます。鼻血もそうですが、いつか自分もあの動物達のように皮を剥がれて巾着にされるのではないかと思うからです。 そして、友人も同じ様な巾着の夢を見ています。 この夢を見るようになったのは最初は友人の方で、何時の間にやら同じ夢を見るようになってしまいました。 友人がその夢を見るようになったのはお告げとも言える不思議な体験をしてからです。 友人は派遣会社に登録してバイトをしているのですが、派遣先の○○加工場でその体験をしました。 以下その友人の話です。 加工場建屋の裏側にある石で作られた慰霊碑を通り掛かった時、おかしな気配を感じたそうです。 明らかに生身の人間では無い者が石碑の裏側から半分だけ顔を出していて友人の方をじーと見ていました。 ぎょっとして立ち止まってよく見ると、石碑の裏から顔を出しているのはボロボロの着物を着た男でした。時代が異なる着物を着ていたことは覚えているのですが、どんな顔であったかは思い出せないそうです。 男は友人に向かって 「だいぶ業が溜まっているようだねえ?お前もうすぐ死ぬよ」 そう言うと男は石碑の裏に引っ込んでしまいました。恐ろしくなった友人は現場の責任者と派遣会社に「体調が悪い」と訴えてバイトを早退すると、自分の部屋で布団を被って震えていました。 いつの間にか眠りついた友人はその日の晩に初めて巾着の夢を見たそうです。 そして友人の話を聞いた晩に巾着の夢を見てしまいました。 あの男が死霊か妖怪の類かは分かりませんが、業という言葉には二人とも心当たりがありました。中学生の時に友人と二人、小動物を虐待して殺すということを何度となくやっていたのです。 当時は何の罪悪感も無くただストレス発散や面白いという理由でやっていました。小学校の飼育小屋のウサギや良く吠える近所の飼い犬、野良猫、、、今は可哀想に思えますが昔はそんなことを考えられない程心が荒んでいたのです。 巾着の夢と虐待の関係について友人の見解は「中学生の時の話だから時効だろう」ということ言っており、二人同じ夢を見ることも偶然だから気にすんなと言われます。 ガキの頃の話しなんで今更とも思いますが、以前に聞いた七五三の話が引っ掛かっています。 七つになるまでは神様の子で罪を犯しても許されたと。そして、七つを過ぎたら晴れて分別ある人間の子となり、犯した罪を問われたと聞きます。 誰にもバレていないはずの中学の時に犯した罪が、今夢という形で罪を問われている気がします。 ちなみに友人も元気です、いまのところは。。。。。

布団回収

「ピンポーン」 大学の授業を終えて、家で寛いでいるときに呼び鈴がなりました。 どうせ宗教の勧誘か訪問販売だと思い無視を決め込んでいると、 「大変なことになっていますよ!!」 玄関口から男性の声がしました。覗き穴から外を見るとスーツ姿で30代前後のセールスマン風の男の人が立っていました。 大変だなんて・・・何だか不安を煽られてしまい、チェーンを掛けたままですがそーとドアを開けてしまいました。 すると、「夜分の訪問大変失礼致しました、突然ですがあなたの布団に盗聴器が仕掛けられています!!」 男性は緊迫した表情で私に話しかけて来ました。 「あなたの部屋から盗聴電波を受信しまして、どうやらあなたのお布団に仕掛けられているようなので見せて頂けますか?」 その男性の話によると盗聴の被害から人々を守る活動をしているらしく、お金は一切頂くことは無いという。 布団を見せるくらいならと思い、敷き布団を玄関口に持って行きました。 「では持ち帰って調査しますのでしばらくお貸し下さいますか?」 え!?なにか言ってることが怪しい・・・疑念が湧いて来たのでその申し出を断ると、 「あなたのいびきや電話、変な話ですが・・・性生活までも盗聴されているんですよ?彼氏居ますよね?聞かれているんですよ!?」 確かに彼氏は居るけど・・・見知らぬ男性に布団を渡すなんて出来る訳がありません。 なんかだか怖くなって来てしまいドア閉めてしまいました。 それから数日して分かったことですが、同じアパートに住んでいる友人(女)の部屋にもその盗聴器男が来たらしく、言い包められて布団を渡してしまったそうです。 そして数か月経った今も布団は返って来ていないという話でした。 友人達の間では若い女性の布団を集める変態ということで落ち着いていますが、一体何だったのでしょうか?

黒部ダム

私が旅館のフロントをしていた時の話。 名古屋の建築関係の社長が昔、黒部ダムの工事に携わりそこでのお話をしてくれました。 当時、巨大ダムの建設にはかなりの人員が送り込まれていました。 当然、プロだけでは足りずに多くの日雇いの人員もいたとの事。 となると、トラブルも多く、ケンカの果てに殺人にまで発展してしまうケースもあり、夜中に建設中のダムに投げ込むなんて事があったらしい。 いなくなった人は日雇いなもんで、仕事のキツさから逃げ出した程度にしか思われずに朝、上からコンクリートのを流し込まれ完全犯罪。 ところが、何十年も立った現在その人間の脂が、表面に染み出して来ているとの事。 実際、あちらこちらに黒い染みが有りますよ…。 もっと怖いのが、転落した人を救出せずに…何で事も有るとの事………。