海東の盛国 2011年4月23日 at 5:52 AM

8~10世紀にロシア沿岸州から中国東北部辺りに掛けて栄え、狩猟異民族に滅ぼされた「海東の盛国」は当時日本とも交易を盛んに行っていた。

国が滅びるまでの間に盛国からは数十回に亘って使者が派遣されており、当時の外国文化の多くはそこから伝わったとも言われる。日本は盛国から、当時貴重であった豹や虎の毛皮や西方から伝わる陶器、薬用人参、そして蜂蜜などを輸入していた。
これだけ多くの人の交流があったということで、中には日本に永住する者も居たということだ。一説には国が滅びてしまい、帰れなくなったという話もある。
現在、盛国の血は脈々と受け継がれ、そのご子孫は日本にご健在である。
出自に関する話は一族に受け継がれているそうで、ご先祖は海を渡って来たとのことであるから、そうに違いは無いようである。また、養蜂が盛んな国であったので、先祖代々伝わる蜜壺は家宝として伝えられている。
日本と盛国は近くはないものの隣国ということで、正式な使者だけが行き来していたわけだはないらしく民間レベルでの交易があったともされる。
また日本海側の某県の美人は、その身体的特徴から異国の血が入っているとする説明がなされる場合がある。ご子孫も日本海側の県のご出身ということで、血の交わりはあながち嘘ではないのかも知れない。


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