東○汽船という船の会社がある。 その会社の「さる○あ丸」という夜行船ではいつも不可解な出来事が起きている。 その船は竹芝桟橋から伊豆大島などの伊豆七島を永遠循環している。夜になりデッキに出るとそこは本当に不気味だ、真っ暗で真っ黒な太平洋が永遠と続いている。 あかりはポツンと小さく浮いてる月。ただそれだけ。 もちろん竹芝桟橋で乗船した乗客の数と終着の島までに下船した乗客の数が一致するはずだ。それは厳重に数えられている。 しかし去年のある日、下船した客が一人少ないのに気付いた。 もちろんあわてる。 しかしどれだけ調べてもその一人が誰だかわからない。 失踪したという届けもこない。海に落ちてしまったのかと心配された。しかし、もしそうだとしたら家族から連絡がくるはずだ。 その下船客が1人少ないという出来事はその日を境に毎日続いた… だから今は乗船客+1で数えられているらしい。 ちなみにその奇妙な現象が始まったのは去年の初夏。 …そう、あの海外の大物歌手が倒れた日…………
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海にはエビス道と呼ばれる不思議な海流があって、エビス道が通る付近の海で亡くなった方はその海流に引き寄せられて運ばれるという話がる。 ある地域の海水浴場では水の事故があると決まって水死体が流れ着く防波堤があって、ライフセーバの早朝巡回コースとなっている。 その付近の海はエビス道が通っているようで、海水浴場で亡くなるとその海流に乗って防波堤の波消しブロックまで運ばれてくるということだ。 エビス道を通る水死体はまるで生きているかのように海中を上下に浮き沈みしながら前進し、もしもダイビング中に出逢ってしまったら陸に揚げてくれと言わんばかりにゆっくりとついて来るそうだ。 このエビス道、岸へと向かう海流ならば誰かに発見されることになるが、もしも沖へと向かう海流に乗ってしまうと発見される見込みは非常に薄くなる。 深く広大な海では人の目が及ぶ範囲は限られているため、沖に流された水死体が発見される唯一と言っていい機会は漁船の網に掛かることである。 時折、漁の最中に魚網に遺骨や死体が掛かることがあるだが、水死体の引き揚げは船にとっては悪いことではなく船頭の人徳を表すとされる。 陸に揚がりたい水死者は船頭の人徳を頼って網に掛かって来たという解釈がなされるからだ。 エビス道で漁をして水死体を引き揚げたある漁船では、知り合いの船の乗組員を引き揚げたそうだ。 船底一枚地獄という言葉の通り、漁は常に死と隣り合わせである。引き揚げられたのは夜の漁で誤って海に転落し、数カ月間行方不明になっていた男だった。 身元が割れたのは仏さん(水死体)が所持していた免許証からで、転落時に着込んでいた作業用合羽のポケットに財布などが入っていたのだった。 仏さんはむき出しの顔や頭は生き物に食われて骸骨になっていたのだが、合羽に包まれた体の部分はしっかり肉が残ったままの姿であった。 引き揚げ時の漁法は底引きではなかったことから、仏さんは海底に沈んでいたという訳ではないらしい。合羽と肉の浮力の助けで、海中を浮き沈みしながら漂っていたと見られている。 引き揚げられた仏さんだが運が良かったのは合羽を着ていたことで、着衣が脱げて白骨化するとエビス道には乗れず、海底で永く留まる事となる。
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弘法大師に縁のある四国八十八箇所札所巡り、遍路に纏わるお話。 映画の題材、そして自分を見つめ直す機会として政治家や芸能人が遍路巡りをしたことでも注目を集めた。 お遍路のスタイルは様々で、長期休暇を取っての歩き遍路だったり、学生が夏季休暇で自転車で巡ったり。 現代において遍路をする目的は自分探しなどの生きることに前向きな意味合いで捉えられているが、近代以前はお大師様に付き添われての“あの世への旅立ち”という意味合いもあった。 不治の病を抱えた人や体の自由が利かなくなったご老人が、家族の負担を減らすために今生の別れをして遍路に出たということである。 そんな訳で遍路の最中に行き倒れて亡くなった方は数知れず。遍路で霊的な体験をしても何ら不思議は無い。 行き倒れて亡くなる方が多かったというとある難所では、助けを求めて縋りついてくるお遍路さんの幽霊話が伝わっている。 ・・・・ とある若者が難所付近のホテルで宿泊していた時のこと。 深夜に目が覚めて、何者かの強い気配を感じた。入口から部屋の中に何人かの霊が入って来たのが分かったのだ。 気にしないように目を瞑っていると、左手が急に重くなり、数人の手に縋られるような感覚を覚えた。 そして 「お願いします」 絞り出すような声がしたと思ったら、次の瞬間にはふっと左手が軽くなったのだ。 実家に帰って四国での体験を祖母に話すと、 「お大師様の念珠のせいだねえ」とお遍路さんに纏わる悲しい話を教えてくれた。昔は、死期が近い人や労働力として見なされなくなったご老人を遍路に出して、口減らしをしていたとのことだった。 彼の左手首には祖母からもらったお大師様の腕輪念珠がお守りとして着けられていたので、行き倒れて亡くなったお遍路さんが、左手のお大師様に助けを求めて縋って来たのだろうということである。・・・ この幽霊話からすると、死出の遍路は自発的なものではなく半ば強制的に行われていたとも考えられ、成仏ままならない行き倒れのお遍路さんが今も札所を彷徨っているのだろう。
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実家から離れた大学へ通うために女性が一人暮らしを始めた。 実家では門限が厳しくて、高校生になっても19時までには帰宅するという決まりであった。晩御飯は家族揃って食べるものという父の考えからで、破ると厳しく叱られていた。 一人暮らしには不安もあったがいざ初めてみると楽しくて、初めて手に入れた自由を大いに満喫。付き合い始めの彼氏を家に呼んだり、門限という制約もなくなったので深夜まで飲み歩るいたり、実家では考えられないことである。 門限に厳しかったのともう一つ実家には変わった決まりがあって、父が嫌いなためか家ではペットを飼うことが禁じられていた。今まで動物を飼った経験が無かったので、小学生の頃は友人の犬や猫を羨ましがっていたのが思い出される。 今まで出来なかったペットの飼育にもチャレンジしようと考えて友人から一匹のハムスターを譲り受けた。 しかし飼育経験が無いためか数日で亡くなってしまった。エサも水もちゃんとあげているしゲージの置き場所も悪くなかったはずだが?まったくの原因不明である。 ハードルを下げてメダカならばと、ホームセンターでメダカと水槽を買って来て飼育をスタートした。しかし数日して全滅させてしまったのであった。 実家の母と電話しているときにペットを飼ってみたらすぐに全滅させてしまったという話をしたら 「うちは憑き筋だったからペットを飼っちゃいかんよ」 父も母も生まれは四国で、商売のために九州まで出て来たという話は聞いていたがこの話は初耳だった。数代前に祭祀を放棄しているため蛇だか狐だか今ではもう分からないが母の家では女性にだけ霊的なものが憑くという話があるそうだ。 憑きもの存在に対して母自身は半信半疑だが、不思議なことにペットを飼うと早死にするのは母も同じであったそうだ。母が子供のときに祖母からは「○○様(その家系での憑きものの呼び名)が嫉妬するからなんだよ。可哀想だから生き物は飼うな。」と言われてきたそうだ。 父は元々犬が大好きで子供の頃は犬を飼っていたそうだが、不可思議な物事に対しては信心深い方なので母の話を聞いてペットは飼わない方針でいるらしい。 ペットが死ぬんだから、人間はどうだろう?たしか憑きものが主の敵対者や意にそぐわない者に対して害を及ぼすという話を聞いたことがある。ちょっと怖くなってこの点を母に聞いてみると、祭祀を放棄したことで力が弱くなっているのか?人間に対して害が及んだ経験は無いそうだ。 「関わらないのが一番だから気にしないで忘れなさい」というのが母のアドバイスである。
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硫黄島に駐留する自衛隊が島を離れる際に、唯一持ち出しを許されているものが激辛の硫黄島とうがらし(キダチトウガラシ)。暗黙ルールとして例外的に持ち出しが許されているのはこれだけ。 唐辛子以外の動植物はもちろんのこと、砂粒さえも持ち帰ってはいけないとされる。 命令として砂や石を持ち帰るなという指示があり、離島の際には靴の砂を落としてから輸送機に乗り込むように指示が出される場合もある。 戦時中に米軍が持ち込んだアカカミアリなどの外来種を本土に上陸させないという意味合いも含むとも思われるが、“砂には人骨が混ざっている可能性があり、持ち帰ると祟りがあるから”というのが持ち出し禁止の真相だ。 島にはかなり多くの方の遺骨が残っていて、風化によって細かくなった骨は砂と見分けが付かなくなっている。 一掬いの砂の中に複数人の人骨が混じっている可能性は十分にありえるのである。 そして、骨を所有するということは所有者が供養の責任を請け負うという、日本人の意識下に流れるルールが適用されることになる。 砂を所有することで起こる不思議な現象は祟りという言葉で集約されているが、血縁がなくとも骨を拾ったという縁故によって所有者の前には供養を求めて霊が現れるということだろう。 記念品として持ち帰るにはあまりに重い責任が詰まっているので、命令として持ち帰るのを禁止するに至っている。
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