夢の売買

夢の売買という呪(まじな)いの類があり、悪い夢を引き受けることになるから年明けの道に無造作に落ちているお金は無暗に拾うものではないという謂れがある。 初夢は新しい年の吉凶を判断する重要な夢として位置づけられているが、初夢が縁起の良い夢ならばとてもハッピーだがもしも悪い夢を見てしまったとしたらどうだろうか? 自分や知人に不幸が起こることを暗示する初夢では、出鼻をくじかれたようで気分が乗らないだろう。 この先、起こるであろう厄災から逃れる対処法として宝船が描かれた絵を川に流すことが有名であるが、悪い夢を他の誰かに引き取ってもらうという方法もある。 それが夢の売買で、ある手順を踏んでお金を道端にばら撒き、翌日その場所を訪れてお金が誰かに拾われていたならば夢の売買が成立し、悪い夢(悪い運勢)は拾った人の物となる。お金と引き換えに、これから起こるであろう不幸を肩代わりさせるという意味合いだ。 北条政子は妹が見た大変な吉夢を「凶夢である」とそそのかし、唐物の鏡と小袖を妹に与えることで夢を譲り受ける。これにより、妹がなるはずであった征夷大将軍の妻の座を自分の物としたという逸話があるが、この話からも夢は売買できるものと信じられていたことが窺える。

疣神様

疣(イボ)の治療にご利益がある御神石は全国各地に存在し、疣神様の名で現在も信仰を集めている。 疣神様はときに大木のケースもあるが多くの場合は巨大な岩で、岩のくぼみに溜まった水をイボに付けると治癒の効果があると云われている。不思議なことにくぼみに溜まる水は年中枯れることが無い。 地域によって疣取りの作法は異なっており、某所では霊水を付けたら疣神様が視界に入らなくなるまで振り返ってはいけないという「見るな」の禁忌が設けられている。 石を借りて来て疣を撫でる場合には、治癒した後に石を返しに行かないと逆に撫でた箇所に無数の疣が出来てくるという話もある。 四国某所では疣の治癒後に川原で表面がすべすべした石を拾い、感謝の心を持ってお返しするのが作法となっている。 疣を引き受けてくれた代わりに、しっかり約束を守らないと倍になって返って来るということのようだ。 現代は医療が発達しているので普通の疣(イボ)であれば治療に難儀することもないが、ハイリスク型のウイルスによって生じる疣の中には子宮頚癌へと進行するものもあり甘く見れない。 そして、疣を作るウイルスと咽頭ガンの関連も疑われており、オーラルセックスで性器から咽頭・口腔にウイルスが感染して癌の原因となっているという見方もある。 現在、性行為の低年齢化と避妊具を使用しない性交によって若い女性の婦人病が増加傾向にあるというが、その陰には疣の存在があるといってよいだろう。 そのウイルスは男性器の恥垢に潜むと云われ、避妊具を使用しない直接接触によって感染する。 ウイルスのワクチンも広く普及されているとは言い難いので、世相的には疣神様のご利益に与る意義は大きいのではないだろか。

魚網の髑髏

海での漁では魚網に白骨化した頭蓋骨が掛かることが稀にある。 船としては不浄物の引き上げということで縁起は良くないが、船頭にとっては誉れなこと言える。海難者の霊(髑髏)は船頭の人徳を頼って網に掛かって来ると云われているからだ。 長らく水中に沈んでいた海難者の髑髏。広大な海の規模から見たら猫の額にも満たない小さな網にそれが掛かることなど奇跡に等しい確率である。そこには強い念の存在がある。 海の底は冷たく暗く、魂が安らげる場所では無いらしい。水死者の霊は海から出たいと強く思っているので、陸に上がる機会を心待ちにしている。 長らく海に縛りつけられていた海難者の魂は簡単には海から離れられないらしく、救いに応えてくれる人間が居てこそ救われるようだ。 水死体は船やダイバーが近くに来るとまるで意志があるかのように近づいて来るという話がある。 ダイビング中の事故によりウエットスーツを着込んだまま亡くなった水死体は、ウエイトとスーツの重みにより水面に浮かぶことも海底に沈むことも無くまるで生きているかのように海中を上下する動きを取る。 気骨ある人間ならば陸に上げることも出来ようが、大抵は恐ろしくなり大急ぎで逃げ出してしまう。それが祟ってか、水死体は生者の思いとは裏腹に追い掛けるかの如く近づいて来るという。 これは、推し進む物の周りに生じる水流によって引き寄せられているという説明がなされているが、果たしてそれだけなのだろうかという疑問は生じる。 こういった話からは、海難者が求める“救い”というものを感じざるを得ない。

金閣寺のふんどし幽霊

金閣寺こと鹿苑寺舎利殿を写真に納めたときに写る幽霊の話。 京都の観光名所として名高く修学旅行ではお決まりのコースとなっている。 霊感が強い高校生が修学旅行の思い出に金閣寺を写真に納めた。地元に帰り写真を現像して驚いたのは京都で撮った全ての写真に霊のようなものが写っており、顔のようにも見える白い煙などが至る写真に見られた。 なかでもインパクトが強かったのが金閣寺の写真で、ふんどし(褌)姿で坊主頭の修行僧のような人物が数人写っていた。しかも半分透けて居るのでいかにも幽霊っぽい。 合掌しながら立っている者や寺の屋根に寝そべっている者などそれぞれ自由なポーズを決めていた。僧達は撮影者や観光客を意識してる様子もなく、むしろ無関心の様に見える。おそらくは鹿苑寺で修行されていた方々なのだろう。 金閣寺のふんどし写真は悪い感じはしなかったのだが、他の気味が悪い写真と一緒にお焚き上げしてしまった。 金閣寺は幽霊が出るという話はあまり聞かないが、心霊写真の方は高確率で撮れるらしい。

将門塚

平安京に在った首が3日目の晩に空中に舞い上がり、故郷の東国を目指して飛行し、公の首が落ちた地が首塚と云われている。 関東大震災後、大蔵省が整地し塚の上に仮庁舎を建てたところ、省の役人に病人が多く出て、お偉いさんがバタバタと亡くなってしまった。役人は祟りを畏れて塚の上に建つ仮庁舎を取り壊すことにした。 その後、塚への不敬による祟りが続出したため、開発は中止され保存の機運が高まり今に至る。現在オフィス街に残っている石灯篭は首塚の前にあったとされる物である。 首が平安京から関東の地まで飛行したという伝説について、実のところ将門公を強く信奉する家来の者達が御身を故郷に持ち帰ろうとしたとのことだ。 しかし、朝廷からの追っ手を振りきれず、泣く泣く公の首を埋めた場所が此の首塚付近であったという云われである。 江戸幕府が朝廷権力の封じ込めに将門公の霊的な力を用いたとする痕跡が神田明神と江戸城の配置から見てとれるという。今や江戸城は皇居となり、奇しくも新皇の塚と対峙するがごとく近接することになった。